燃えろ一億火の玉だ

一億総ヤクザ - 深町秋生のベテラン日記
感想をブクマがtwitterで書こうと思ったが、長くなったのでトラバ。
 
同調圧力ほど、その存在に気づいた途端に恐ろしさ、いやらしさを感じさせるものはない。それは現在も、また過去も、日本でも、またディキシー・チックスの例を引くまでもなくアメリカも。
 
そして潮目が変わった途端、圧力をかけていた(報道を含む)「世間」はあっという間に評価を逆転させる。
 
このとき、「あいつら意外とやるよね!」という声と同時に「叩いてた奴らざまぁ」「批判してた奴ら出てこいw」という声が出てくる。
 
「(俺以外の)心ない批判に負けない姿に感動しました」みたいな。
 
よくある「俺は真実に目覚めた!」とか言っている人たちを見ているとアレな部分は多いが、誠実とも言えるのではないか(タチは悪いかもしれんが)。
 
開高健の小説の中に「戦争中は『撃ちてし止まん』とか言っていた人たちが、終戦を境に『戦争中はひもじかった』と話してばかり」というエピソードがある。
 
これは、今まで言えなかった心情の吐露というかたちだ。
 
一方、駅のホームでふざけていた高校生を勤務時間外の警察官が殴ったとして逮捕されたとき「なんで逮捕するんだ」的なレスが大発生。その後、警察官が因縁を付けた形だったと判明して「釣られた奴ら乙」みたいになった話もあった。
 
こういう場合、特にまとめサイトあたりだと初期はほぼ「警察官は正しい」派一色、その後は冷笑派一色みたいになったりする。
 
むろん当初の「警察官は正しい」派の中には「最初の報道が不正確だ!」と逆ギレする人間も出てくるが、多くは冷笑派を前に声を潜め、別の話題に移る。
 
最初と最後で意見が正反対でも何ら矛盾しない、それが「世間」だ。
 
それを可能にするのが「ニュー速民敗北でVIPPER歓喜!」的な単純化と切断処理なのではないか。
 
国母騒動については、はてブの潮流は「過剰反応乙」っぽい。
 
彼の結果が散々だったら擁護派、「国母批判」批判派が変節するとは思わないが、潜在的批判派が顕在化するのは確実。逆だったらワイドショーのコメンテーター組どうする的な。それこそ現在は批判ばかりのYahooコメントで「心ない批判に負けない姿に感動した」という感想が「私もそう思う」連打確実的な。
 
ちなみに「国母は本国に召還しろ」というやくみつるコメントが大批判を呼んだ産経新聞だが、同文と一緒に「(反応は)大げさすぎる」というカウンターコメントも紙面に並べていたことを付記する。
 
しかし石原慎太郎都知事が死んだら世の中評価一色になりそうで、想像すると、ぞっとしますな!