イーストウッド・ナウ!

グラン・トリノ」を観てきました。傑作との評価は既に揺るがなそうなので、安心して元心情右翼も適当な感想をぶとう、「クリント・イーストウッドの吹き替えは山田康雄のフィクスだったけど、正直そんなに合うと思ってなかったんだよなあ、今だったら納谷悟朗だよなあ」とか。

御存知の通り、主立った筋書きはイーストウッド演じる元自動車工の親父が、ラオスはモン族移民の若造を「一人前の男」に育て上げるというもの。クライマックスでイーストウッドが見せる行動は、男の涙を絞らせるものでありました。
 
で、だ。
 
イーストウッドは身内とすら喧嘩が絶えない頑固親父。しかしモン族のチンピラをその強面で追い払ったことをきっかけに、移民たちと交流を始めることになります。モン族のばあちゃんたちがお供え物の如く持ち寄った花やご馳走に、イーストウッドが戸惑う場面には客席からも笑声があがりましたが……
……なんかすごく「白人酋長」的な展開じゃないか?変わり者の白人を崇める都落ち先の後進民族。植民地主義啓蒙主義の残滓。どうも全てを素直に楽しむことも出来ないわけで……
……と思ったのですが、ここまで書いて「これはイーストウッド版『ロード・ジム』」ではないかと素っ頓狂なことを思い始めました。
モン族は反共軍「モン特殊攻撃部隊」としてアメリカに支援され、結果アメリカへの移住を余儀なくされた流浪の民。「地獄の黙示録」のカーツ大佐のモデルが、同作戦の中心人物トニー・ポーだとは巷間言われていることであります。そしてジョン・ミリアスによる初稿では、カーツ大佐の存在に於いて「闇の奥」より寧ろ「ロード・ジム」に近しかったことは、町山智浩氏が指摘するところ。地獄の黙示録へのアンサーソングとも言える切り口で、イーストウッドは「英雄の一つの姿」を見せてくれたのではないでしょうか。
 
と強引にしめてはみましたが、やっぱり思いつきと孫引きだけの文章は自分でも浮っついてるのが分かるなァ……