俺は、君のためにこそ

久々に産経の石原慎太郎連載「日本よ」。とばしております。
口述筆記じゃないことは確かだな。

そうした歴史の流れの中で我が国が真の自立を獲得し、国家の責任において明確な意思表示を行い、力ある国としての責任をも果たすための国家の新しい基本法を制定しようという作業の中で、現行の憲法がいかなる歴史的状況下で作成され、我々はただ一方的にそれを受諾させられたのみであったという歴史の状況を冷静に振り返ってみることが、論議の前提として絶対に必要な筈だ。

福田恆存氏も指摘していた、日本語としての助詞の使用にも幾つもの間違いのある、あの醜悪としかいいようのない前文の助詞一文字の修正にも必要とされる厄介な手続きを構えた現憲法の、どの部分をどう変えるべきかなどという瑣末な議論の前に、それがもたらされた歴史的背景についての冷静正確な分析と認識こそが必要な前提として構えられるべきに違いない。
 時代も変わり人も変わり、太平洋戦争が在ったことをすら知らぬ世代が存在する現代に、なぜ世に猖獗しているメディアの一つもが、現憲法が作成授与された折の歴史的背景について改めて詳細に伝え、その後間もなく起こった共産主義の台頭という歴史の新しい変化と、その中でのアメリカの巧妙一方的な日本経営のためのアメリカ手製の憲法活用について報せようとはしないのだろうか。

手首を流れる血をおまえの体に絡みつけると一瞬のうちによみがえる記憶に視界を閉ざされ笑いながら逃げていくおまえの姿を見つめる傷ついたオレが立っている