うなぎの味

 まあそんなことは置いといて、今村昌平監督がお亡くなりになりました。

楢山節考 [DVD]

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映画監督・今村昌平氏が死去

 「にっぽん昆虫記」「楢山節考(ならやまぶしこう)」「黒い雨」など数々の秀作を残し、カンヌ国際映画祭で2度、最高賞に輝いた映画監督の今村昌平(いまむら・しょうへい)氏が、30日午後3時49分、転移性肝腫瘍(しゅよう)のため亡くなった。79歳だった。

 「うなぎ」でパルムドールを取った時、都内某大学で開かれた記念上映会に(タダだからと)行ったことをふと思い出すなあ。「うなぎ」の前にはその大学の映画サークルが作ったクソつまらない映画も上映されていたのですが、よせばいいのに今村監督に感想を聞いていて(会場には来ていなかったが、インタビューフィルムも映してたんです)、もう、ボロクソですよ。私としても観るに堪えない作品だったのでいいんですが、インタビュー途中で会場前列中央付近から「あああああああ」という叫び声が聞こえてきたことばかりが思い出される。サークル関係者だったんだろうなあ……

読売新聞
6月1日付・編集手帳
 
 小津安二郎は自分の映画を豆腐にたとえた。生涯をかけてうまい豆腐をつくりたいのだ、と。ことさらな味つけを排し、素材がおのずと醸し出す風味は似ている◆松竹大船撮影所で小津に師事し、やがて離れた今村昌平さんは、豆腐の対極を追い求めた人である。人間の欲望、弱さ、醜さ、哀(かな)しみ、すべてがドロドロに溶けた煮込みの世界だろう◆「汝(なんじ)ら、何を好んでウジ虫ばかり書く」。信州蓼科にあった小津の別荘で酒杯を傾けているとき、かつての師からそう聞かれた。今村さんが日本経済新聞の「私の履歴書」に書き留めている◆内心、「このくそじじい、上等だ。おれは死ぬまでウジ虫を書いてやる」と、おのが歩む道を固く心に定めたという。その発憤から「世界のイマムラ」が生まれたことを思えば、「師とはまことに有り難(がた)いものである」という今村さんの感慨はおそらく皮肉ではあるまい(以下略)

 まあ万人にこのように受け止めろというのも厳しいのでせうが……同じように師との関係を取り上げても、注目点が違うと同じセリフがちょっと違う意味に。

毎日新聞
余録:今村昌平さんが母親を…

 今村昌平さんが母親を脳溢血(いっけつ)で亡くしたのは、小津安二郎監督の「東京物語」の撮影に助監督で加わっていた時だ。葬儀を終えて撮影所に戻ると、東山千栄子が演じる老母が脳溢血で倒れ、死ぬシーンの音入れの最中だった▲繰り返し映し出されるそのシーンに母親を思い出し、たまらず今村さんはトイレに立つ。すると小津監督がやってきて「どうだい、脳溢血で死ぬってあんなもんだろう」。監督は今村さんの涙目で映像の迫真を確認して満足げだった。「はあ、あんなもんです」。今村さんは答えた▲「この世に映画監督ほど非情で恐ろしい人種はいないと思った」とは今村さんの回想だ。だが「師とはまことにありがたいものである」ともいう。やがて監督となったご当人は「鬼の今平」と呼ばれることになった(「映画は狂気の旅である」日本経済新聞社)(以下略)

しかし2紙とも日経の本からなんDEATHね(ちなみに日経コラムは前井筒親方への弔辞)

映画は狂気の旅である―私の履歴書

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