ドラマ丼特盛り全部載せ

表も裏も見渡したい | 「講談社ノンフィクション賞選考会」での石井光太評について
名著「コリアン世界の旅」の筆者野村進氏が石井光太氏の作品について、(要約すれば)「話盛り過ぎ」と批判したことについてのオハナス。

コリアン世界の旅 (講談社文庫)

コリアン世界の旅 (講談社文庫)

神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く (新潮文庫)

神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く (新潮文庫)

まだ「g2」そのものを読んでいないので、これが氏の著書全般を指しているのか何か特定の作品を指しているのか分からないのだが、これを機会に、はてなの下書き機能を使って1年ほど前に書いていたツッコミを引っ張り出してみるのである。当時「物乞う仏陀」の次に「神の棄てた裸体」を読んであまりにひっかかったので書いてみたものだ。


まずこのノンフィクションで描かれる主なエピソードの紹介。
インドネシアの売春酒場(露店)で下働きをし、パキスタンで路上で稼ぐ兄弟と知り合い、彼らが男娼稼ぎをお互いに隠していたことを偶然発見し、ヨルダンでバーテンとして働き、出稼ぎホステスの仕返しを手伝い、一夫多妻制を取材しようとしたイラクでまさにこれから既婚者に嫁ぐ女性障害者に遭遇し、インドの売春宿で病に伏せり、薬師の下働きをし、汚職警官に食ってかかって想像以上の余波を生む……

あとがきによると、これがわずか半年の取材旅行での成果ということで辣腕恐れ入る。なぜか「実は6エピソードはその前に取材していた」とか後からブログでつけ加えてたけど、それなら「半年で調べた」と言うこと自体が話盛ってるよな(ちなみに全部で16エピソード掲載)。(追記:事前に仕入れてたのは『5話ぐらい』だそう)

そして
「彼らはいい人だよ。いや、かわいそうな人なんだ」「あの人たちだって、苦しんでるんだよ。自分が変なことも、痛い思いをさせているってこともわかってる」(自らの体を売るインドの少年)
「女たちは、治ることだけを考えてるわけじゃないんだ。治療とともに安らぎを求めておるんだ。重圧から解き放たれたい、と思っているんだよ」(インドの薬師)
「ねえ、一緒に夜を明かさない?どうせ一人じゃ寝れないし。一緒にこのバイク、捨てちゃおうよ」(友人となったイラク人ホステス)
「オラ、弱い人間だ。死ぬのが怖かったんだ。生き残りたかった。生きたかったんだよ」「わかってくれよ。オラは他の男みたいに強くないんだ。堂々と死ねるほど偉い人間じゃないんだ」(かつて愛人の男を密告したというアフガニスタンの同性愛者)
何というエモーショナルな発言の数々。筆者は何カ国語を使いこなせるのだろうか。こんなセリフが小説に出てきたら安っぽさに本を投げ捨てるわ。

さて、それでもこの本がすべて事実としたら……いやこんな下衆の勘ぐりなど本来無視すべきで事実ばかりなのでありましょうが……としたら
・「逃げてこい」という筆者の言葉を信じて幼い娼婦が逃げてきたら、筆者の方が怖くなってトンズラ
・筆者が汚職警官に絡んだのをきっかけに、重病の女乞食が警官たちから暴行を受けて死ぬ
・潜入ルポが原因で、案内役が片腕を切り落とされる(前作『物乞う仏陀』)
パキスタンで銃砲店主に対して「あなたは、自分が生きるために人を殺す武器を売って、殺す方法を教えるんですか。人が死んでも自分が生きられればいい、と思ってるんですか。そんなのおかしいですよ」等、青臭いとも言える正義感をさまざまな場面で口にする筆者が、自分の行いでこれだけの結果を生んだことにどれだけの葛藤があるのか。書いてないだけか。少なくともほとんど書いてないしね。あとがきとか読むと、旅自体よき思い出になっちゃってそうだしね。

正直言ってこれを「未踏の体験的ノンフィクション」とか言って売るのはあんまりだということだ。かつて呉智英氏が三角寛のサンカ本について「事実とするには面白すぎる」と述べていたが似たようなもんか。まあどんなルポもノンフィクションも、限度はあるにしても多少の演出があるのは当たり前だと思うのです。ただしそれは情報の取捨選択とか記述の順序によるものとか。結局のところ、こーゆー設定のきな臭さと取って付けたような正論によって、何か問題意識もひどく浅薄に感じられちゃうわけで。その辺が諸手でバンザイしてもらえない一因ではなかろうか。