ウォーリー(の切り口)をさがせ

万年脇役ブルドッグ男からいつの間にか芸達者ぶりが認知されるようになったジョン・C・ライリー主演「ウォーク・ハード」を鑑賞。小ネタ(といい曲)の波に溺れて楽しいひとときを過ごしたのであるが、小ネタタイフーンとともに全体の完成度で見るものを引き込む「WALL・E」につなげておくのである。

「可愛い!」「純愛に泣けすぎる」「このディストピア感、裏に潜むブラックさこそ肝要」などと単純に褒めることも深読みすることもいくらでも可能な傑作であり、様々な角度での感想、批評が出尽くしたような気もするが無理矢理やるとだね(何の意味があるんだ)……
孤独な任務を700年にわたって続けてきたWALL・E、ミッションのために献身するEVE、意外な役割を演じるお掃除ロボットM-O君やキチガイロボットの面々など、この映画を動かす原動力となっているのは、自らの仕事に関する愚直なまでの彼らの姿勢なんだよな(あの彼の見せる、おそらく一生に一度のものであろう意地もしかり)。求められているラインを踏み越えても任務を(ノルマではなく目的を)完遂しようとする彼らの職業倫理が成就する点もまた、この映画が我々の胸を打つ一つの要因ではなかろうか。しらんけど。
 
そういやどっかのブログでウォーリーを旧マック、イブをiMacになぞらえたネタ画像を見た(まあ起動音がもろだし実際デザイナーは張本人だしなあ……)。なーんか、かつては未来像の雛形の一つであった流線型が、すっかりiMacエピゴーネン扱いだにゃー。この呪縛が解けるには、もうしばらくかかりそうだわん。